東京地方裁判所 昭和33年(ワ)6697号 判決 1960年8月31日
原告(九五名選定当事者) 大木元雄
被告 日本鋳工株式会社
主文
被告は原告に対し、別表の残額欄のとおりの各金員およびこれに対する昭和三三年九月四日からその支払をすませる日まで年五分の割合による金員を支払うべし。
訴訟費用は、被告の負担とする。
この判決は、かりに執行することができる。
事実
原告訴訟代理人は、主文第一、二項と同旨の判決および仮執行の宣言を求め、その請求の原因として、次のとおり述べた。
原告および別紙選定者目録記載の九四名(以下原告らという。)は、被告にやとわれていたところ、昭和三二年一二月二八日被告の都合によつて退職したのであるが、その当時における賃金の基本月額は別表の基本給欄のとおりで、右退職当日まで同表の勤続年月欄のとおり勤続していたのである。
ところで昭和三二年一一月二八日被告と被告の従業員で組織する日本鋳工労働組合(以下組合という。)との間で結ばれた労働協約である「退職手当支給規則」によると、組合に加入している被告の従業員が被告の都合によつて退職した場合には、退職当時における賃金の基本月額に勤続年数に応ずる一定の倍数を乗じた金額(ただし円未満の端数は切上。)の退職金が支給されることになつている。
原告らのうち、中西貞三郎、熊谷虎三、中山敏雄、鵜沼みさをおよび鵜沼則子の五名以外は退職当時組合の組合員であつたが、右五名の者は当時組合に加入していなかつた。しかしながらその頃被告の全従業員一八四名中一六七名が組合に所属していたのであるから、これら組合員に適用される前記労働協約が、非組合員である右五名にも適用されることは明らかである。
かくして原告らは、前記労働協約に基いて全員被告に対し別表の退職金欄に記載する金額の退職金債権をもつに至つた。しかしながら被告から原告らに対し、同表の既受領額欄のとおり退職金の一部が支払われたのみで、同表の残額欄に示す金額がいまだに支払われていない。かりに前記労働協約が原告らのうち非組合員に適用されないとしても、被告は、右労働協約を締結するにあたり、組合に所属しない従業員が退職する場合にも、右労働協約の定めるところに準じて所定の退職金を支給する旨の意思表示をしたのであつて、前述のとおり原告らに対してなされた退職金の一部支給中非組合員に対するものは、そのためになされたのであり、当該非組合員もそのようなものとしてこれを受領したのである。してみると右非組合員と被告との間には、当時前記労働協約に定めるところと同一の内容の退職金支給に関する契約が成立したものというべく、原告らのうち非組合員は、この契約に基いて被告に対し退職金の残額を請求する権利を有するのである。
よつて原告は被告に対し、右退職金の残額およびこれに対する本件訴状が被告に送達された日の翌日である昭和三三年九月四日からその支払をすませる日まで民法に定められた年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。
被告の主張事実中、「退職手当支給規則」の附則中において被告主張のような定めがなされていること、原告らのうち非組合員である被告主張の五名が退職当時被告主張のような職務を担当していたことは認める。
被告の主張する「退職手当支給規則」の附則の規定は、被告の債権者を刺戟しないための方便として設けられたにすぎないのであつて、組合と被告との間においては、被告の都合により退職した従業員に対しては、被告の主張するような債権者委員会の承認の有無にかかわりなく協約の定めるとおりに退職金を支給するものとする旨が合意されていたのである。したがつて原告らに対する被告の退職金支給義務は、前記附則の規定による債権者委員会の承認がなかつたことによりなんらの影響も受けるものではないのである。
原告訴訟代理人は、以上のとおり述べた。(証拠省略)
被告代表者は、「原告の請求を棄却する。訴訟費用は、原告の負担とする。」との判決を求め、答弁および抗弁として、次のとおり述べた。
原告の主張する請求原因事実については、原告主張の労働協約が原告主張の非組合員五名にも適用されることおよび原告らが右労働協約に基いて被告に対し原告主張のような退職金債権を取得したとの点を否認する以外は、右労働協約の適用により被告が原告らに退職金を支給すべきものであるとすれば、その金額が原告の主張するとおりとなることを含めてすべて認める。
原告らのうち、中西貞三郎、熊谷虎三、中山敏雄、鵜沼みさをおよび鵜沼則子の五名は、退職当時いずれも組合に加入しておらず、しかも中西貞三郎は被告の本社総務課長、熊谷虎三は同企画課長、中山敏雄は同第一営業課長として、それぞれ使用者である被告の利益を代表していたものであるし、鵜沼みさをおよび鵜沼則子は被告の従業員用の寮の賄婦をしていたものであつて、組合に所属する他の従業員とはいずれもその職種を異にしていたのであるから、この五名については原告主張の「退職手当支給規則」は適用がなく、したがつて同人らがこの規則に基いて被告に対し退職金債権を取得するいわれはない。
かりに「退職金手当支給規則」が原告ら全員に適用されるべきものであるとしても、この規則中原告が本件退職金請求の根拠として援用する規定、すなわち被告の都合により退職した従業員に退職金を支給する旨の規定は、同規則の附則において、被告の債権者の組織する債権者委員会の承認を得たときにはじめて効力が発生するものと定められているのであるが、いまだにその承認は得られていないのであるから、原告らは、たとえ被告の都合により退職したものとしても、前記規定に基いて被告に対し退職金の支払を請求する権利を有していないのである。
かりに右主張が認められないとしても、前記規定にいう被告の都合による退職とは、被告の責に帰すべき事由による退職を意味するものと解すべきであるところ、原告らの退職は、景気の変動により被告の営業が不振に陥つたためで、もとより被告の責に帰すべき事由によるものでないから、被告は原告らに対して退職金を支給する義務を負うべきかぎりではない。
被告と原告らのうち非組合員との間に前記「退職手当支給規則」に定めるところと同一の内容の契約が成立したことは争わないけれども、上述したところと同様の理由により被告は、この契約に基いても退職金支払の責に任ずる必要がないのである。
「退職手当支給規則」の前示附則が原告の主張するような趣旨で設けられたもので、その運用につき原告の主張するような合意が組合と被告との間においてなされたことは否認する。
被告代表者は、以上のとおり述べた。(証拠省略)
理由
原告らが被告にやとわれていたところ、昭和三二年一二月二八日退職したこと、その当時における原告らの賃金の基本月額および勤続年数が原告の主張するとおりであつたこと、昭和三二年一一月二八日被告と組合との間に結ばれた労働協約である「退職手当支給規則」中に原告主張のような被告の都合により退職した者に対する退職金支給の規定があることは、いずれも当事者間に争いがない。
ところで原告らのうち、被告主張の五名をのぞく残りの者がいずれも組合の組合員であることについては、当事者間に争いがないので、これらの者に対して「退職手当支給規則」が適用されることはいうまでもないところである。しかしながら右除外にかかる五名が退職当時いずれも組合に加入しておらず、そのうち中西貞三郎、熊谷虎三および中山敏雄はそれぞれ被告主張のとおり被告の本社の課長の職についていたし、鵜沼みさをおよび鵜沼則子は被告の主張するように寮の賄婦をしていたことは、当事者間に争いがないところ、本件弁論の全趣旨によると、組合は被告の従業員中工員および一般職員をもつて組織されているものとみられるので、右五名の者と組合の組合員とは同種の労働者であるとはいいがたいのである。そうだとすると「退職手当支給規則」には労働組合法第一七条の規定する労働協約の一般的拘束力すなわち右労働協約の一方の当事者である組合に加入していない右五名の者に対する「退職手当支給規則」の拡張適用を認める余地は存しないし、他に右五名に対して右規則そのものが直接適用されるべき根拠は見出されないのである。
しかしながら原告らのうち組合に所属していない前記五名の者と被告との間に、「退職手当支給規則」の定めるところと同一の内容の退職金支給に関する契約が成立したことは、当事者間に争いがない。
そこで更に進んで原告らのうち組合員が「退職手当支給規則」に基き、同じく、非組合員が前記契約によつて被告に対しそれぞれ所定の退職金の支払を現に請求し得るものであるかどうかについて判断する。
「退職手当支給規則」の附則の規定上において、同規則中原告が本訴請求の根拠として援用する規定の効力の発生が被告の主張するように債権者委員会の承認にかからしめられているところ、いまだにそのような債権者委員会の承認が得られていないことは、当事者間に争いがない。しかしながら真正にできたことに争いがない甲第一号証、証人前田真二の証言および被告代表者富永夏彦の尋問の結果によると、右のような趣旨の附則の規定が設けられるに至つたいきさつ等について次のような事実が認められる。
被告は、昭和三二年一〇月頃手形の不渡を出して経営に行詰まり、当時五四三名の債権者に対し総計一億六千七百万円ほどの債務を負担していたところから、これら債権者の代表二二名からなる債権者委員会が組織され、被告の事業再建案が討議されたのであるが、被告の従業員を適当数整理する必要のあることが認められた。ところで被告と組合との間には、かねて従業員が退職した場合についての退職金支給に関する労働協約が結ばれていて、退職が従業員の都合による場合については退職金の算定基準が定められていたけれども、被告の都合による退職の場合における退職金の算定基準については取りきめがなされていないつた。ところが叙上のように被告の企業再建のための人員整理によつて退職する従業員に対しては、本人の都合による退職の場合に比べて退職金の額を多くせざるをえないという考えから、被告は、昭和三二年一一月二八日組合との間に退職金の支給に関する新たな労働協約、すなわち前述の「退職手当支給規則」を結び、従業員の都合による退職の場合よりも高率の退職金の支給基準を、被告の都合による退職の場合について規定したのである。しかしながら被告の企業整備に便乗して退職した従業員に対する退職金の支給についても右の規定が適用されはしないかということを危ぶんで、前記新協約の運用を被告の債権者において適宜制肘しうる余地を残して置きたいとの意向が債権者委員会から強く表明されたため、右協約の規則中に「本則の適応(原文のまま)に当つては総会(債権者の総会を意味する。)との協議に依つて行なう。」との規定と「本則は会社及び組合双方の調印の日より之を実施する。但し第三条第四項(原告が本訴請求について援用している規定)の効力発生は債権者委員会の承認を要するものとする。」との規定が入れられるに至つたのであるが、被告としては、和議法による和議の方法によつて事業の再建を図りたいと内心考えていた事情もあつて、和議さえ成立すれば、「退職手当支給規則」の前示附則の規定にかかわらず、右規則の運用は自由に行えるとの見通しに立つて、組合に対しては、債権者を納得させるための方便として上述のような附則を設けるけれども、あくまで表面的なものであつて、被告が企業再建のために行う人員整理に応じて退職する組合員に対しては、債権者委員会の承認の有無にかかわりなく、協約にしたがつて退職金を支給する旨説明し、組合も被告の債権者に対する立場を認めて、前記附則の規定を置くことを了承したのであり、このようないきさつを経て、原告ら中組合に加入していた者は、被告の企業再建計画にしたがつて退職したのである。以上の認定を覆えすに足りる証拠はないところ、被告が組合との間に「退職手当支給規則」を結ぶにあたり、非組合員の退職の場合にも右規則の定めるところに準じて退職金を支給する旨の意思を表示し、原告らのうち組合に所属しない前記五名に対しても現に退職金の一部が被告から支払ずみであることが当事者間に争いのないところからするときは、右五名の者もまた原告らのうち組合員である他の者と同様の事情のもとに退職したものと認めるべきである。
叙上のような「退職手当支給規則」の結ばれるに至つたいきさつからみても、また本件請求の根拠とされている右規則の規定中における被告の都合による退職という趣旨の文言の文理的解釈からいつても、上述のような事情に基く原告らの退職が被告の都合による退職にあたることは明らかであり、右にいわゆる被告の都合による退職とは被告の責に帰すべき事由による退職を意味するものであるとする被告の主張は、これを肯定すべき特段の事情の認められないところからいつて、とうてい採用することができないのである。
原告らが昭和三二年一二月二八日退職した当時における原告らの賃金の基本月額および勤続年数が原告の主張するとおりであることは既述のとおり当事者間に争いのないところであり、これを基準として、原告らの退職を被告の都合によるものとみて、「退職手当支給規則」またはこれと同一趣旨の契約に基く退職金を算定すると、その金額が別表の退職金欄記載のとおりとなることは、当事者間に争いのないところである。
してみると右退職金の金額に対して被告から一部弁済のあつたことを自認して、被告に対しその残額金すなわち別表の残額欄のとおりの各金員およびこれに対する本件訴状が被告に送達された日の翌日であることが記録によつて明らかである昭和三三年九月四日からその支払をすませる日まで民法に定められた年五分の割合による遅延損害金の支払を求める原告の本訴請求は理由があるから、これを認容すべきである。
よつて訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条、仮執行の宣言につき同法第一九六条をそれぞれ適用して、主文のとおり判決する。
(裁判官 桑原正憲 駒田駿太郎 西山俊彦)
(別紙、別表省略)